第十話目(最初から読む)。前回からの続きで大五とクジャクがメインのお話です。
オープニングの龍星王が本当に格好いいです(大事なことなので2回言いました)。絵巻物のような山々から大都会の夜景まで泳いでいくのが浪漫的です。
冒頭は動物がたくさん放し飼いにされている場所でデート(?)している大五とクジャクです。この天国はいったいどこなのでしょうか。実在するのなら行ってみたいです。
微笑むクジャクをバックにタイトル「あァ復讐の女神」。すさまじすぎます。
いい感じの二人を物陰から見守る他のメンバー。1話目と比較するとずいぶん仲良しになったようです。
「なぜ鏡化粧師なんかに囚われたのか」と訊く大五。いや、その質問は……鏡化粧師の特性を考えると、聴いちゃいけないことではないでしょうか……。
クジャクは6000年前の話をします。
「あのころ、私たちダイ族とゴーマ族は、闘っていたわ」
クジャクの言い方も相まって、とても哀愁があります。闘いの歴史というのは悲しいものですからね。
怪我を負い、逃げているガラ。追いかけるクジャク。
声を枯らしながら膝をつく、こんな人間的なガラは初めてな気がします。まさしく迫真の演技です(二重の意味で)。
傷だらけで瀕死のガラを前に、クジャクは自分の武器を捨てます。
「ダイ族のお前がなぜ、憎いゴーマ族の私を助ける?」
「傷ついた者に、敵も味方もない」
「孔雀明王の化身、クジャク。戦闘力はもちろん、美しさも、気高さも、私の及ぶところじゃあなかった」
手当てするクジャクをほめちぎるガラ。歯が浮くことを言いまくるガラさんに違和感がありまくりんぐ(笑)。
さらにガラは苦しみ、水を求めます。
湖まで水を汲みにでかけたクジャク。その後ろ姿にさらに「お前は女神だ」と言うガラ。クジャクは映り込んだ自分の顔を見て、ガラの言葉を思い出します。そして、うぬぼれてしまうのです。
湖に隠れていた鏡化粧師に飲み込まれてしまったのでした。
「見事にうぬぼれたわね、クジャク!」
ガラは元気に立ち上がり満面の笑みで言い放ちます。すべて罠だったわけです。この笑顔は腹が立つ(笑)。「何が孔雀明王の化身だ、何が女神だ、あっははははは!」とさらに追い打ち。
この作戦はクジャクの性格をよく知っているガラじゃないとできないよなと思いました。もっと言えば、心のどこかに彼女の優しい性格への信頼と、それに対する反発や不信・軽蔑がなければ。
普通にだまし討ちして殺すのではなく、うぬぼれさせて閉じ込めるというやり方が陰険で、ガラの執念を感じます。
もちろん、クジャクが強すぎてこういうやり方しかとれなかったのもあるでしょうが。
「一瞬のうぬぼれの代償が、6000年もの忌まわしい時」
非情に詩的で綺麗な言い回しです。昔の人だからでしょうか。「一瞬のうぬぼれの代償」、この哲学は子供よりも大人の方がグサッときそうです。名言だと思います。
それにしても、クジャクを陥れるためとはいえど、憎い相手にあそこまでお世辞がいえるのはすごいです。大いなる目的のために目先のプライドを捨てられるのは立派なことです。うちの母親は「プライドを捨てるプライドも強さだ」とよく言うのですが、まさにそれですね。
昔語りの後、唐突に孔雀の羽を投げるクジャク。その先にはガラがいました。いつからいたんですか、ガラさん。ガラのクジャクへの歪んだ執着が何とも言えません。
「よく蘇ったなあ、クジャク」
とても芝居がかった言い方とジェスチャーです。この回のガラさんはやたらと生き生きしています。
クジャクの攻撃によって動物が逃げ出します。大五が止めても聴きません。それどころか、大五を武器で振り払う! 振り払って武器を抜き、投げる。大五に。そっちを攻撃するの!? そこまで追い打ちかけるの!? 「大五、解き放ってもらった礼は言おう」。
「だがお前にはわかるまい。鏡化粧師の虜となり、6000年ものあいだ、屈辱と汚名に塗られた私の悔しさと怒りが!」
すごい言い回しです。
「死にぞこない。また会おう」。煽るだけ煽って、姿を消すガラ。クジャクもそれを追いかけて消えてしまいます。
大五以外のメンバーがクジャクの文句を言う中、大五は、
「見事だ」
(´゚ω゚`)!?
将児の「なにぃ!?」がすべてを物語っています。
「クジャク。見事な拳法だ」
そっちか。そっちなのか。
大五は戦闘狂だったようです。
場面変わって。お花見をしている大衆のシーンとなります。
「嗅ぐがよい。我が花びらのにおいを嗅いで正気を失い、凶暴になって力の限り暴れるがよい」
天の声の響きと共に、大衆の顔つきが変わり、ケンカを始めます。「桜が人を狂わせる」というのは、幻想的かつ猟奇的で素敵だと思います。
声の主はゴーマ怪人・サクラ子爵でした。いきなり怪人体で登場。人間体は出てきませんでした。
サクラ子爵は見た目も能力も性格も不気味でお気に入り怪人の一人です。単に人々を襲うのではなく、互いに争わせて悦に浸るというのが他の怪人とは違います。貴族の悪趣味、という感じでしょうか。まったく、ゴーマ社会の貴族はサイコさんだらけです。
桜のピンクと瞳の水色が綺麗です。
一方、ペットショップで仕事にいそしむ大五。インコ(鳥)を見て、クジャクのことを思い出します。
クジャクは、なんと国立博物館にいました。そこで孔雀明王の絵巻物を見ています。よく入れてもらえましたね、その格好で。
「どこだ。叶うことなら、いつかお前と試合してみたい」(大五)
攻撃を受けたことで、女の子というより拳法家として見るようになってしまったようですね。
そのころ、街ではサクラ子爵に酔わされた人たちが争っていました。それを止めるダイレンジャーたち。
「てめーやるってのか!?」(将児)
一人、酔わされてもいないのにイキってるやつがいるよっ。お巡りさん殴るのはやばいよ将児!
大五に「この人たちは操られているだけだからできるだけ傷つけるな」と言われても、「もうおせーよ!」と一般人を殴り飛ばす将児、そこにしびれる憧れる。
さらに現れたクジャクは、迷うことなく羽で一般人たちを刺していきます。さすがクジャクさん、俺たちのできないことをやってのける、そこにしびれる憧れる。
――などというわけにもいかず、大五は止めようとします。
それにしてもクジャク、的確に心臓めがけて羽を刺しています。この後安否は出なかったのですが、この人たち、大丈夫だったのでしょうか。実は死んでいたりしたら後味が悪すぎます。
大五もわき腹にですがクジャクの羽を受けてしまいます。
「大五、ゴーマの怪人・サクラ子爵に操られている者に、情けは無用!」
6000年前に生死を賭けた闘いをしていた戦士の言うことは重みが違います。彼女がこうなってしまったのはガラに騙されたからもあるでしょうが、現代とは価値観が大きく違う面もあるのでしょう。
「クジャク、やめるんだ」
「大五、私は味わった悔しさと怨みをはらし、罠をしかけたガラに復讐するためならなんでもする」
それはよくわかりました。でもそのこととサクラ子爵さんは全然関係ないじゃないですか! サクラ子爵と操られた人々、とばっちりです。
CM明け、怪我の治療をしているダイレンジャーたち。そして、なぜか横になっている道士。こう、修行のポーズの一つなのはわかるのですが、シュールです。
「6000年の恨みと怒りが、クジャク本来の優しい心を変えさせた」
クジャクをフォローする道士。
6000年の時は長く、騙された傷は深く、性格が変わってしまうのには充分な説得力があります。
「それにしても、クジャクのやり方は許せないよ。そうでしょ大五」
リン、手厳しいですが、思っていても他に言える人はいないでしょうから、偉いと思います。
「まあ、今はとにかく、ゴーマの怪人・サクラ子爵を早く探し出して、何とかするしかないよな」
大五が答えられずにいると、亮が助け舟を出します。道士も亮も、大五の男心を察していて優しいです。
他のメンバーが部屋を出た後、大五を呼び止める道士。
「情けを持って闘いに勝ってこそ、真の戦士だ」
いい言葉です。かと思えば、「お前が戦士として今できる修業は、ゴーマとの戦いの中で己を鍛えるしかない」とそれっぽいことを言ってとにかくゴーマと闘わせようとするのが、道士・カクだなあと思います。
桜の周囲で暴れる大衆。その中を、微笑みながら進むクジャクが美しいと同時に恐ろしいです。
「邪魔をしに来たかクジャク」(サクラ子爵)
「違う。ガラの居所を教えてもらおう」(クジャク)
違う、と答えるところが、もはやその胸には復讐心しか残っていないことを感じさせます。
「それには及ばん」
ガラさん、自ら現れます。
剣を構え、「来い、クジャク」と笑う姿は壮絶で、格好良くすらもあります。クジャクも剣を抜きます。拳法の達人であるクジャクと、敵の幹部であるガラ。さすがは激しい、見ごたえのある闘いです。
クジャクの羽が広がるギミックが美しいです。
クジャクとバトルするときのガラは生き生きとしています。今までにない態度に、この時点では明かされていない、クジャクへの並々ならぬ感情が伝わってきます。
また、二人を眺めるサクラ子爵がいい味を出しています。クジャクと(自らの上司ですらある)ガラが争う姿を見て喜ぶえげつない性格をしているところが素敵です。ゴーマ怪人は、一話限りで終わらせるにはもったいない魅力的なキャラが多いです。
闘いは熾烈を極め、二人は両方とも吹っ飛びます。
そこにやってくるダイレンジャー。サクラ子爵は笑っています。
「おっほほほ。闘うしか能のない、愚か者たちよ」
ガラが聴いていないと思って、とんでもないことを言っています。そしてなぜか大五が怒る。
ダイレンジャーは転身します。走りながらオーラチェンジャーを挿す姿が格好いいです。
サクラ子爵はダイレンロッドで吹き飛ばされますが、立ち上がり、応戦します。優雅な雰囲気に似合わずそれなりに強いようです。
闘い方も花吹雪を飛ばしたりと、貴族然としています。そのくせ接近戦も強い! なんとシシレンジャーからロッドを奪ってそれでめった打ちにします。さすがはゴーマ怪人です。
「獅子拳・無明無心」(シシレンジャー)
「獅子拳・無明無心とは、心のすべての欲を捨て去り、心を無の状態にして、敵の攻撃の勢いに逆らわずに闘う極意である」(ナレーション)
これは「極意」のようです。
「ダイレンロッド・孔雀斬り!」
孔雀斬りって。こんなところにも大五の気持ちが現れてしまっています。もう完璧に首ったけです(戦闘狂的な意味で)。
サクラ子爵、追いつめられて巨大化。
巨大戦は一瞬で終わりました(尺の問題です)。
国立美術館で孔雀明王の絵を観ながら、大五はクジャクのことを想います。気を通い合わせられるというクジャクの羽を持ち、「心の優しいお前に戻ってくれ」と訴えるのでした。
クジャクと大五の話がこんな序盤で出てきたのは意外でした。もう大五が主人公のようになっています。
ここまで観て思うのは、ゴーマ怪人はフリーランスな職業で、三幹部の部下というわけではないのかもしれないなということです。契約を結んで対等な付き合いをしているから、ため口で話したりいうことを聴かなかったりするのかもしれません。部下だとすれば、あまりにも態度が大きすぎる。中佐の下が男爵や道化師というのも不思議ですしね。
シャダム・ガラ・ザイドスも、めちゃくちゃ偉いというよりは、若いもんに試しにプロジェクトを任せてみた、みたいな雰囲気を感じます。
そう、まだこの時点では。