『新世紀エヴァンゲリオン』〜それでも他人と生きていく〜
1995年放送(日本)
監督、庵野秀明
※ネタバレ含む
人型兵器人造人間エヴァンゲリオンは母をなくした14歳の少年少女しか乗ることができない。自分を捨てたと思っていた父にいきなり呼び出された碇シンジは、エヴァに乗って戦うよう告げられる。同じくパイロットの惣流・アスカ・ラングレー、綾波レイ、保護者兼上司の葛城ミサトたちと交流しながら、シンジは自分を見つめ直していく。だが、第三新東京市に襲来する謎の生命体「使徒」との過酷な戦いの中で、だんだんと皆の精神は疲弊していく……。
自分の頭ではテレビや映画を見ただけではエヴァをすべて理解はできないです。が、自分にとってエヴァンゲリオンという作品は、細かい設定よりも自分にとってのメッセージや答えを見つけられたらいいなと思う作品なので、わけのわからないところはわからないままでもいいかなと思っています。
旧作って暗いっちゃ暗いけれど、気持ちを救われたものがあったので、絶望の中でも希望の光る作品だったんじゃないかと。個人的にはハッピーエンドだったと思うんですが、世間的にはどうなんでしょうね。
〜まごころを、君に〜
14歳。
あれはたぶん誰でもそうだったと思うが、人間が一番不安定になる試練の時期だと思います。
多感だったり、複雑だったり、ややもすれば病んでいたり(笑)。そんな年代だった自分は、シンジとアスカに激烈なほど感情移入した。
シンジでありアスカであった自分に、あの最終話は救いでした。
辛いことや挫折があっても、あの映画でのシンジくんの決意を考えると、もういっちょ頑張るかと思える気がします。
アスカが最後に言った「気持ち悪い」は、ネットを見るといろいろと解釈がされていて、なるほどなーと。
自分の中では、単なる照れ隠しなんだろうって、思っていたけど(やれやれ、みたいな)。
ああ、アスカらしいって、安心したんですが(笑)。
首を絞めているのは、途中のシーンからの再現。ふっと気がつけば精神世界から現実世界に戻っている。この手に感じる細い首の感触も、こわばった両手の感覚も本当なのだ。
頬をなでるアスカのぬくもりも……思わず涙。安堵の涙。それを見たアスカのやれやれしょうがないなこいつはつーかなんだよこの状況、という気持ちを込めた「気持ち悪」。
そういうシーンです、自分の中では。
たくさん傷つきながらも、そしてこれからもたくさん傷つくとしても、他人のいる世界を選ぶ。
アスカと二人、これから多くの試練が待っているだろう。それでも希望はある。
「まごころを君に」は再生の物語だった。
荒廃した世界で二人は新たなアダムとイブになる。だから「少年よ神話になれ」なんだと思っていますがどうなんでしょうね。
〜世界の中心でアイを叫んだけもの〜
多かれ少なかれ思春期の子供が直面する問題があります。すなわち「父との確執そして和解、母への執着そこからの自立」。エヴァンゲリオンにはまさしくそれが描かれていました。
テレビ版ラストの「父にありがとう、母にさようなら、すべてのチルドレンにおめでとう」には、庵野さんの親心すら感じました。
あの頃まさにシンジと似た年代であった自分にとってはとても胸に響く言葉でした。というより、庵野さんの自分自身への激励なのかもしれませんが。
この言葉を言えるようになったとき、本当に大人になるってことなんでしょう。
エログロだ、不健全だともいわれるエヴァンゲリオンだが、これは中高生こそ見るべき作品だと思う。
そもそも中高生って、一番いろんなことが鬱積していく時期なんだよ。不健全な時期なんだよ(笑)。 その不健全さを受け入れてくれる作品って必要だと思います。
また、大人になり切れていない大人が観ても胸に響くものがあるかと思います。
そして大人になってからもう一度、観返してみると、別の意味で胸に響くと思います。
健全な人が予備知識なく観たときどんな気持ちになるかは……想像できません(笑)。が、それはそれで面白いのではないでしょうか。結論、みんなでエヴァ観ようぜ。
キャラクターは好きな順に並べるとアスカ、相田ケンスケ、加持さん、ミサトさんになります。特にアスカはフィクションの女性キャラの中で一番好きです。ケンスケはゼロ(『愛と幻想のファシズム
』)をモデルとしているのも大きいですが、彼自身がお茶らけているようでかなり大人びている面があるところが良いです。
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