『トーマの心臓』〜天国に至る翼〜
1974年発表(日本)
著作、萩尾望都
イメージ画
※ネタばれ含む
ギムナジウムに通う男子生徒たちの物語。春が始まる前の最後の雪の日に、学校のアイドルだったトーマが陸橋から落ちて死亡した。生真面目でクラスの委員長を務めるユーリの元に、トーマからの遺書が届く――。
「ユリスモールへ さいごに
これがぼくの愛
これがぼくの心臓の音
きみにはわかっているはず」
トーマの死の真相が事故ではなく自殺、そしてその原因は自分にあることをユーリは知る。
映画の「ソロモンの偽証」を観て思い出したのがこの作品です。
ソロモンの偽証では冒頭、雪の積もる日に男子生徒(柏木)が学校の屋上が落ちて死にます。
トーマの心臓もまた、物語の冒頭、雪の積もる日に男子生徒(トーマ)が陸橋から落ちて死ぬのです。
結論から言えば、どちらも自殺で、ある友達への激情がその理由なのです。
また、神原とユーリも、一見まじめな優等生に見えて深い闇を抱えているところが似ています。
全体的にキリスト教的な空気が流れているところも。
「ソロモンの偽証」は「トーマの心臓」を意識した部分があるのかな〜とか思いました。単純にたまたま被ったのかもしれませんが、意識してモチーフに取っていたらそれはそれで興味深いです。
それにしても……私が初めてこの作品を読んだのはかなり昔で、その時は意識していなかったのですが、この物語は男の子同士の恋愛(というと安っぽいですが)的な面もあったのかと驚きました。トーマってユーリのことそういう意味で好きだったんか……そうだったんだね……。
というか全体的にがっつりBLだ……前に読んだときに何も感じなかったのが不思議だ……。
ただ、同性愛を描いたというよりは、まだ性別のない子供時代の、純粋無垢な愛について描いた物語なのかなと思いました。
少女漫画界を代表する大御所・萩尾望都先生の作品ということで、非常に耽美で読んでいる間は日常を忘れて甘ったるい空気に浸れます。
※私の描いたイメージ画ではまったく萩尾望都先生の絵の繊細さを表現できていないので、機会があればぜひ実物の絵をご覧になってください。
トーマは最初、同級生とのゲームでユーリを口説いていたのですが、それを知ったユーリにこっぴどく振られてしまいました。けれどそのあとも何通も手紙を出し、最後にはユーリ宛に遺書を残して自殺するのです。「ユリスモールこれが僕の愛 これが僕の心臓の音」と。そのことでユーリは思い悩むことになります。
いや……これはけっこう迷惑な話だ……。
思春期だから起こりうるような話で、あの頃の揺らぎやすい感情を思い出して胸がぎゅっとなる話です。
ユーリと同室のオスカーはいかにもな気障でちょっとチャラい男の子で、生真面目なユーリと対照的で物語のスパイスになっています。
そのオスカーが、ノイローゼになっているユーリに言う台詞があります。
「思い詰めているのは責任感からか!? ――愛されたことに対する――」
愛されたことに対する責任感……すごい言葉だと思いました。愛されたことにも責任を感じなければならないなんて理不尽ですが、そういったものを相手に感じさせてしまうことはトーマでなくてもあることでしょう。人を好きになるのって一方通行だと相手を苦しめることにもつながるのだなと思いました(それこそ不気田くん
じゃないですが)。
オスカーはタバコとか吸っていて一見するとチャラいんですが実は聡明でしっかりしているところがいいですね。彼は実は複雑な生い立ちがあり、そのために大人びた性格になったようです。
トーマの自殺が忘れられ始めたころ、トーマにそっくりなエーリクという男の子が転校してくることで物語は変化を見せます。
トーマ自身は冒頭で死んでしまっており、後は回想に少し出てくるくらいで人物像が謎に包まれています。それもあってかミステリアスで神秘的な雰囲気です。
対するエーリクは活発でわかりやすい性格で、「死」の雰囲気とは真逆なキャラクターです。また、ちょっとマザコン気味で母親のことを「マリエ」と名前で呼び、彼女との婚約指輪だといって指輪をはめています。マリエに対して大人ぶった物言いをしますが、それがマザコン具合を際立たせていて逆に幼さが出ています。けれどその母親に恋人ができたために学校に預けられるという悲しい立場です。
転校してくるなりトーマにそっくりだと騒がれることにうんざりしたエーリクが、ユーリに自殺したトーマはどんな子だったのかと聞きます。ユーリはそれに対して「ちやほやされてフロイライン(お嬢さん)って呼ばれて喜んでたよ」と険のある答え方をします。周りの人が「いくらユーリでもそんな言い方ないだろう」とたしなめるのですが、それに対するエーリクの物言いが鋭くてよかったです。
「ユーリいくらきみでもだってさ きみはいくらくらいなの? ユーリ」
こういうハッとするような台詞が多いところがこの作品の魅力の一つです。
「こっちが自己嫌悪に陥るような物の言い方ってのをやつは心得ているんだ いんけんだよ! じっさい!」
ユーリとオスカーがもみ合ってユーリの服がはだけて、胸元の傷があらわになるシーンがあります。その傷には深い因縁があるのですが、ユーリは隠してごまかします。オスカーもしらないふりをしますが、彼はその傷がなぜできたのかを実は知っているのでした。真実を知っているのに、相手のために黙っているオスカーは大人だし優しいと思いました。キャラクターの中だと彼が一番好きですね。
やがて上級生たちのお茶会にエーリクは呼ばれるのですが、このお茶会の雰囲気が何ともアブナイ……。特にシャールという女顔の上級生は狂気に満ちています。暴れまわったり気絶したりするエーリクの方がよほどまともに見えてしまいます。
エーリクは母親のマリエがとても好きなのですが、母親は男性にかまけてついに彼を寮付きのこの学校に預けてしまい、連絡もくれません。母親のことを思い出しては寂しそうにするエーリクが可哀想でなりません。
エーリク・ユーリ・オスカー、どのキャラクターも心に傷を抱えていることが物語が進むにつれてわかってきます。
同学年ですが一歳年上のオスカーはユーリやエーリクの心の傷に寄り添って押しつけがましくなく支えていて偉いです。
オスカーとユーリに誤解(悪意)からよからぬ噂が立ったとき、ユーリが言った台詞が印象的でした。
「ぼくではなくきみの問題だろう うわさによってきみがぼくを 否定にしろ肯定にしろ 評価するのは自由だ でもぼくの存在にはなんらかわるところはない ぼくはぼくだ」
まあちょっと屁理屈っぽくもありますが(笑)。正しい間違っているかはともかくこういう考え方ができたら心が強くなりそうです。
けれど、そんなユーリをエーリクは悲しく思います。
「ぶつかってないんだ友達に……いつも一歩離れてるようだ」
ぶつかってまで人に理解してもらおうという気持ちがないから、ユーリは誤解を解こうとしませんでした。
そしてオスカーとユーリは部屋を分けられ、今度はユーリとエーリクが同室になります。
嘘の噂を流したのはアンテという男の子で、彼は以前にトーマをけしかけてユーリをくどかせた黒幕だったのでした。その理由はオスカーのことが好きで、ユーリと引き離したかったからでした。
アンテは嫌な子なのですが、真相を知って去っていくオスカーに対して、
「オスカー、ふりむいて! ふりむいてくれるだけでいいんだオスカー! 君が誰を好きでもかまわないから、ふりむいてオスカー!」
と泣きながらいうシーンは切ないです。オスカーは最後までふりむかずに去っていきました。
そして実はオスカーはユーリが好きなようでした。おおう……。
授業のシーンで「ヘルマン・ヘッセ」の名前が出てきましたが、そういえばこの作品は「車輪の下」を彷彿とさせます。あれも神学校の話で、読み終わると気持ちが沈む内容だった……。
ユーリはトーマを想起させるエーリクを苦々しく思っており「殺す」と宣言しています。ただの比ゆ的な言葉だと思っていたのですが、物語の途中で実際に殺そうとする展開があって驚きました。本気だったのかと。ユーリの心の闇は想像以上に深いようです。
そして、ユーリは実はトーマのことを愛していたことを自分の中で認めます。愛していたからこそ、彼の求愛が茶番劇だったことを知って怒ったのでしょうか。実際は自殺したくらいなのですからトーマもユーリが好きだったのでしょう。だから余計にユーリは苦しむのです。アンテのやったことはオスカーが激高した通り許されないことです。
その後、エーリクの母マリエは実はもう死んでいたことが手紙でわかり、エーリクは強いショックを受けます。
また、オスカーと校長(オスカーは実は校長と母親のあいだの不義の子どもだった)の話も出てきます。
「でもどんなゲームでもね ジョーカーを持ってる方が勝ちだよ! つまり切り札! 一手かならず先んずることができる」
オスカーの台詞。人生に通じそうです。でもその後のシーンでは
「トーマ・ヴェルナーに負けそうなんだ……ユーリの頭から彼を消せないんだ…… ぼくはユーリの手の内はみんな見抜いてて なにもかも知ってるのに ――ぼくがいちばんユーリを理解できるのに ジョーカーも持たずなにも知らない彼に負けそうなんだ」
とあります。人生はゲームのように理屈だけで勝てるものではないのだなと思うと複雑です。
エーリクは死んだ母と暮らした場所へ学校を無断に出て向かいます。
その中で、今の恋人は誠実な人で、エーリクは別に邪魔になって学校に預けられたというわけではないことが判明します。マリエは以前は男性と長続きせず次々と短い恋を繰り返すダメな母親でしたが、この恋人と出会ったことで落ち着きを取り戻したのでした。
そして二人の結婚に反対し、ふてくされて家を飛び出した自分の行動をエーリクは後悔します。
「どうして結婚に反対なんてしたのだろう マリエがそうと望むなら なんだって許せたはずなんだ」
思ったほどマリエが悪い母親でないことがわかって安心しました。途中までエーリクは捨てられたものだと思っていたので……。
結局、迎えに来たユーリと一緒にエーリクは学校へ帰ります。このときにマリエの雇っていた弁護士が登場しますが、エーリクを大人として諭していて立派な人だなと思いました。
学校へ帰る前にユーリの家に泊まったりして、二人は少し打ち解けます。
そんな二人を見てオスカーは複雑な気持ちになります。
「ふむこれは頭のいいやつだと思い 次に理性論派の典型だと思い 最後に大変な感情派だと知った」
という、出会ったころのユーリに対するオスカーの表現が秀逸だと思いました。理性的に取り繕ったユーリの感情的な部分を見抜けるまで仲良くなれたのですね。
その後、トーマの死が実は事故ではなく自殺だったことがアンテの耳にも入ってしまいます。アンテは自分がけしかけた茶番劇が自殺につながったとショックを受けますが、オスカーが強くお前のせいじゃないと言います。ここはオスカー、優しいですね。そして、他の生徒の証言で、茶番劇よりもずっと前からトーマがユーリのことを好きだったことが明らかになり、アンテは罪を背負わずに済みました。
マリエの恋人が学校まで来て、エーリクは和解し、本当の親子になることを誓い合います。エーリクの家族問題は片付きました。詳しくは語りませんがここのシーンは感動的です。
恋人は、二人が愛したマリエについて語らいながら寄り添って生きて行こうと言います。立派な大人です。『北斗の拳』の「同じ女を愛した男だからさ」的な。
しかし、エーリクはひとまず家には帰らず、残りの学校生活を送ることを決意します。
ユーリに理由を聞かれ、「君が好きだから学校に残るんだ」と答えます。この「好き」は重たい「好き」です。ユーリの返事はありませんでした。
この物語では当たり前のように男子間で好きと言う感情が芽生えるので、それが友情なのか恋愛感情なのかわからなくなってきます。
ユーリを好きと伝えたのはいいものの、自殺したトーマとそっくりであることにエーリクは苦悩します。自分自身はトーマを知らないのに、そのことが関係に影を落としている……理不尽でやるせないのが伝わります。「僕はトーマじゃない!」と作中で何度もエーリクは叫びます。
エーリクはユーリの体に(背中にも)傷があることをある出来事で知っており、それをバラすと脅してキスすることを迫ります。しかしそんなことで関係が発展するわけがなく、自己嫌悪に陥ります。
オスカーがなぜユーリに傷があるのか知りたいかとからかいます。
「知りたくない! だめだだめだ言わないで! ぼくまたユーリを追いつめる ぼくだめだ考えなしだから 勝ち札全部見せてしまう! ユーリを追いつめてしまうよ言わないで!」
切り札(ジョーカー)の比喩がまだ話に絡んでくるところがうまいな〜と思いました。全体を通してそういうところまで一本筋が通っていると読んでいて気持ちがいいです。
自分の性格をわかっていて、教えるなというエーリクは偉いなと思いました。知りたくないはずがないのに。
それからなんだかんだあって、ユーリとエーリクが傷のことについて話すことになります。
ユーリは悪い上級生からリンチに遭い、胸にタバコの火でやけどを負わされたらしいことはオスカーも知るところです。しかし、ユーリの体の傷にはどうやらそれ以上の理由が隠されているようなのです。
「ぼくが……好き?」(ユーリ)
「好きだよ それはもうずっと君が知ってることだ なぜ信じないの?」(エーリク)
「なにがあっても……?」(ユーリ)
「なにがあっても」(エーリク)
「ぼくが……悪魔でも?」(ユーリ)
「ユーリ」(エーリク)
「ぼくが人殺しでも? うらぎりものでも?」(ユーリ)
「……うん」(エーリク)
ここで口だけではなく心から好きだと言えるのは偉いと思います。
「知ったら……誰も僕を許しやしない」
なおも話すことをためらうユーリ。自分には天国に至る翼がないと。
そんな彼に、エーリクは、自分の翼を片翼でも、両翼でもあげるといいます。両翼あげたら、その翼でトーマのところに行けると。涙をこらえながら言う姿はけなげで、本当に純粋にユーリが好きなことがわかります。人を好きになるとは相手のすべてを受け入れることなのだとエーリクの姿勢やユーリの苦悩からは教えられます。
そして、エーリクのその覚悟から、トーマの自殺の理由を察します。彼も自分に翼をくれようとしたのだと。自分の死と引き換えに、翼をくれようとしたのだと。
ユーリは泣きながら走り去ります。
キリスト教では自殺は大罪であるという背景を考えると、トーマがどれほどの覚悟をもってその選択をしたのかが胸にきます。「天国に至る翼をあげる(天国に行く道を閉ざす)」という目的は、「自殺(天国に行けない)」という方法でなければ実現できなかったのです。
一人残されたエーリクは、吸い殻入れに捨てられていたまだ火の残るタバコを手に拾い考えます。
「火はあついだろうか? あついだろうか? どれくらい?」
「目をつぶす気かい?」
と、オスカーがそれを止めます。彼もまたユーリが好きなのに、エーリクのことを気にかけていて本当に大人だなと思います。
そのあと、血のつながった父親である校長が心臓発作で倒れたときも、泣き出すエーリクを逆に気遣い気丈にふるまっています。
ただ、オスカーの心中はエーリクも察しており、ユーリにオスカーの傍にいてあげるように頼みます。エーリクも心の優しい子です。
そしてオスカーはユーリに自分の過去を話し、その中でユーリはオスカーに許され本当に愛されていたことを知ります。ユーリは涙を流しました。
校長先生は無事に助かりました。
そして、ユーリは今まで一度も入ることのできなかったお茶会の部屋――リンチに遭った部屋――にやっと足を運べるようになるのです。
自分がどんな人間でも愛してくれる人がいるという事実が彼を過去の呪縛から解き放ちました。
そして、今いる学校をやめて、神父になるために転校することを決めます。
行くなというエーリクに、リンチ事件の真相をユーリは話します。
リンチ事件の主犯の男に、お茶会の部屋に呼ばれてなぜのこのこと向かったか……それは相手に惹かれていたからだと。彼は自らの意志で翼を失ったのだと。
そしてリンチの末に服従させられ、神よりも相手を愛していると言わされたと。
相手は素行不良の悪い噂の絶えない輩でしたが、同時に読書家でインテリな一面も持っていたので、そういったところにユーリは惹かれたのかもしれません。あとはコンプレックスの南国譲りの黒髪をほめられたところも。
さすが名門校は不良も違いますね。エリートですね。
ユーリはトーマが茶番ではなく本気で自分を好きなことに気づいていましたが、自分には愛される資格がないからと突き放したのでした。
すべてを語り終え、ユーリはエーリクにキスをします。それはエーリクにしたものだったのか、トーマにしたものだったのか――。
そしてユーリが旅立ち、物語は終了です。
オスカーとエーリクが二人寄り添って歩く姿と、ユーリがかつてトーマが書いた恋文のメモを読むシーンで情緒的にお話は終わりました。
自分が物語を作る立場になってから読んでみると、キャラクターの立て方など非常にうまくてそう言った意味でも勉強になる作品でした。
細かい脇役まで顔やキャラクターを覚えることができました。
エーリクとオスカーの家族問題についても解決し、ユーリも新たな道を見つけるという形で、作中でのキャラクターの抱える問題をすべて解決させて終わっているところがすごいです。成長したエーリクはマリエの婚約指輪も最後には外しています。
私はキリスト教信者ではないのですが、キリスト教をモチーフにした愛とか許しとかの話は好きです。
『銭ゲバ』という漫画の中で「世に真実というものがあれば、命を賭けて追い求めるズラ」という台詞があるのですが、この世にあるかわからないものだからこそ、この世の命題として追い求めるのでしょう。
恋愛に限らず人を愛するというのはどういうことなのかを考えさせられるお話であり、また自分も人に愛されたり許されてもいいのかもしれないという安らぎをもらえるお話でした。
ユーリが神学校に行き、神父を目指すということで、リンチの犯人すらも許しの道を得られるところにこの物語のすごさがあります。
下手に男女の話ではなく、同性同士だからこそ、ファンタジー的で純粋に「愛」について考えられたのかなと思います(異性愛者の自分から見て)。
最後に一番感動的だった一文を引用します。
「彼がぼくの罪を知っていたかいなかが問題ではなく ――ただ、いっさいを何があろうと許していたのだと」
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