『破線のマリス』を読んで
1997年出版(日本)
著作、野沢尚
遠藤瑤子は虚偽報道すれすれのニュースで高視聴率を打ち出す敏腕映像編集者。
ある日、郵政官僚の春名から、ある事故の真実を告発した一本のビデオテープを渡される。瑤子は独断でテープを編集し、あたかも郵政官僚の一人、麻生が犯人であるかのような映像を作った。そして電波で流してしまうが……。
※ネタばれあり
第43回江戸川乱歩賞を受賞。
好きな作品です。
事件が結局解決しなかったことは消化不良ですが、この話の場合はこれでよいのかなと思いました。
どうせわかってもつまらないような相手だろう。そんなものです。
主人公はテレビ局の女性編集マン。
映画学校に通って編集を得意とした知り合いがいたので、興味深く読ませてもらいました。そのところ、何も知らない人が読んでどう思うかが気になるところ。
野沢さんの別作品『恋人よ』
で、主人公たちが病んでいるようにみえたのですが、今回、確信したのです。
野沢尚はわざと普通とずれている人間を視点に選んでいる!(私の主観ですが)
以下、引用。
「麻生はしゃくり上げて泣きながら、二人の子供を背中に乗せ、妻のまわりを四つんばいで歩き始めた。」
この文章を見たとき、ドン引きしつつもあまりにもシュールで笑ってしまいました(しかも名前のせいで、彼の容姿が失礼ながら元総理大臣に……)。
実際、麻生はかなり病んでいて、ここのシーンは後の狂い出す彼への伏線だと思われます。
しかし、麻生だけではなく、主人公も初めのころからたいがい狂っているよう私は感じていました。最後には自分の傲慢さに飲み込まれて破滅の道をたどってしまう。そういう話です。
話の感想は、いろいろあるけれど、ここは一言、
麻生さん・゚・(ノД`;)・゚・
官僚なんてさ、安い給料で馬車馬みたいに働かされてさ、そのくせ国民からはやれ贅沢だコネの 天下りだと突っつかれてさ、もうどうしたらよいんだよって感じで。
いやまあ実際のことは知りませんけども。
とにかく、麻生さんの可哀想な話でした。
最後に、この作品で一番好きなところは題名です。『破線のマリス』。美しすぎます。
日記をあさっていたら、『破線のマリス』について書かれた部分があったので追記します。
『破線のマリス』で、報道には、「5W1H」のほかに、「誰のために」「何のために」が必要なのだと書かれていた。
主人公は、息子のために編集をやるのだと。
「誰のために」「何のために」か。これは小説や漫画にも言えることだろうな。
大きくみればどの読者層に向けてかということだろうし、小さくみれば、この人に読んで欲しいという思いが大切。
「誰のために」「何のために」があるとないとでは、作品に込められた情念だとかが違う。これが個性にもつながるはずだ。
それを意識しながら話を作っていきたい。
読者層とかはまだ意識できる段階ではないが、とりあえず、身近で読んでくれる人と、ホームページを見てくれる人たちのために作っていく。
「何のために」も、ちゃんとあるよ。
それが各作品のテーマだよ。
まあ一番は「面白い」「好き」と言って欲しくて創作するんだけどね。
……うーん。昔の自分、いいこと言っていますね(笑)。青臭いですが(笑)。
「誰のために」はもちろん、「自分自身のために」もアリだと思います。この側面も自分は大きいです。
ちなみに「破線」はテレビの走査線、「マリス」は悪意という意味です。映像の途切れる間に悪意を挟みながら作られた報道。しかもその悪意は「正義感に基づく悪意」。うまいタイトルだなあと惚れ惚れします。
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