コスモスたちがあの有名な「モスラの歌」を歌います。モスラの歌ってどうしてこんなに心に響くのでしょうか。腹の底まで響く不思議な歌です。
名曲だと思います。
――なんて聴きほれている場合ではありません。コスモスはこの歌でモスラを呼んでいるのです。
やめーや。
でも彼女たちにしてみたら信頼していたのに売り払われてしまったわけですからね。この時点で「ダメだ、現代人も」と思ったのかもしれません。
丸友観光などの悪い現代人も、ゴジラやバトラと同じ悪い奴らという認識なのでしょう。
小さくて弱い彼女たちが助けを呼ぶにはモスラしかないのか……現代人にとってはたまりませんが、彼女たちにしたら人間よりよっぽどモスラは仲間ですし。
それにしてもモスラを呼ぶのはやめて! 来ただけで街がぐちゃぐちゃだよ!
あんなに静かでおしとやかな様相なのに、しれっと当たり前のようにモスラを呼びつけるあたりがとても怖いです
。怒るでもなく嘆くでもなく、淡々と呼びつける様に、やはり人類とは違う立ち位置の存在なのだと強く認識させられます。
ここで三枝未希が登場します。VSシリーズ、唯一皆勤賞のキャラクターです。今回は脇役なものの、コスモスがどこにいるのかをテレパシーで探るという重要な役どころです。
モスラは街をなぎ倒しながら進行します。呼ばれて闘わされて可哀想になってきます。
これはコスモスからすると「天罰」なのかもしれません。強欲な人類に対する。
この状況でも丸友観光の社長さんはひるみません。
「壊せ、もっと壊せ! この街は俺が新しく作り直す」
想像以上にヤバい人だった。
そして、丸友観光のビル(?)で主人公と娘は再会します。
元奥さんも登場。
「見損なったわ」
「自分の養育費の出所がどこなのか考えてみなさい」
そりゃそうだ。しかし、お父さんはコスモスをちゃんと連れてくるのです。
コスモスにお願いする娘に感動します。
「コスモスさんお願い、もうモスラに暴れないように言って。パパにはもう悪いことをしないようによく言って聞かせるから」
コスモスはうなずき、モスラを説得します。モスラは引き返そうとします。
しかし、自衛隊はモスラを攻撃するのです。
「やめてー!」
「モスラが死んじゃう」
子供ははっきり言うなあ……ダイレクトな表現に胸が切り裂かれます。
攻撃を受けながらも、国会議事堂に張り付くモスラ。
ついにくるか――。
ここからの幻想的で神秘的な映像は必見です。
糸を吐く姿・音楽・映像……すべてが神々しい。
モスラが繭を作り、羽化するまでのシーンは、モスラ映画の一番の見どころだと言えます
。
ゴジラはどちらかといえば呪いとか怨霊とかに近いものですが(破壊神としての側面もありますが)、一貫してモスラの扱いは神です。それがよくわかるシーンです。
こんな状態になってもまだ、丸友の社長はモスラすら宣伝の材料に使おうとします。ここまでくるとあっぱれです。
社長の言いなりだった安東さんは、ついに反発します。
「今度は丸友がモスラに潰される」(安東)
潰される(物理)。
「何でうちだけがこんなひどい目に遭うんだ」(社長)
たしかにこの会社だけモスラにここまでされるのは、本人的には不服かもしれません。
まあこの会社がモスラの卵を持ってきたんだから仕方がないね!!
「地球が怒っているんです」(安東)
「頭がどうかしたのかお前」(社長)
安東さん、目覚めました。
モスラの繭がピーナッツ型をしているのは、冷静に考えるととても面白いです。だって、初代・小美人をザ・ピーナッツがやったからなんですから……理屈もへったくれもないこのノリが好きです。(よく調べると蚕の繭は実際にピーナッツ型であることが判明! 無知でした)
そしてゴジラ登場!
なんと海底プレートから移動して噴火する火山から現れます。ゴジラさんのタフネスに感動します。
モスラの繭もついに羽化します。音楽・演出が神がかっています。
鱗粉や、繭が透けてモスラが見えるところなどが美しいです。ひたすらに美しい光景です。
モスラ(成虫)誕生! 翼を広げます。
今作品のモスラはネット上で「タオル」と言われているらしいですが、本当にもっふもっふです。可愛すぎます。
しかし可愛いだけではありません。
幼虫の時はいたいけで可哀想なモスラさんですが、成虫になった途端に母親感がすごいです。
見上げる相手になります。
バトラも海を泳いでまた来ます。
泳ぎながら一瞬で変態するシーンが本当に格好いいです。
男は繭なんて作らない、光って一発変化だ。
「海からはバトラ、山からはゴジラ」
この台詞の絶望感がすごいです。
メーサー戦車登場。テンションが上がります。
モスラとバトラの空中バトルが始まります。
バトラにやられてモスラは墜落してしまいます(モスラあああ!)。叫び声が痛々しいです。
二体のところにゴジラさんもやってきます。もうめちゃくちゃです。
ランドマークタワー、横浜みなとみらい21をバックに闘いが始まります。観覧車が見栄えがあります。
バトラとゴジラの睨み合いが何とも言えません。
バトラ先輩、ビームでゴジラの後ろのビルを壊して攻撃します。姿は怪獣なのに頭脳プレイをするところに感動を覚えます。
しかし、ゴジラは強いです。バトラはピンチに追い込まれます。
そこでなんと、モスラがバトラを助けるのです。自分のエネルギーを分け与えます。
「なぜ助ける! 」とバトラ先輩が言いたげです。
やはり同じ時代を生きた仲間、同族としての気持ちがあるのでしょうか。手段は違えど同じ目的(環境を守る)を持っている、同じ卵から産まれた同族同士。地球にいるたった二人だけの同族。闘いたくないのは当然です。
モスラは「慈悲の心」。
バトラは「罰を与える存在」。
モスラの神聖性とバトラの悲劇性がこの物語をドラマティックに仕上げています。
モスラとバトラが顔を突き合わせて話している感じがとてもいいです。二体とも可愛いです。「ここは手を結ぼうぜ」
といったところでしょうか。
『ゴジラVSメカゴジラ
』のラドンもですが、ゴジラ世界の怪獣って力を分け与え合うのが興味深いです。
モスラ、近づいてきたゴジラに立ちふさがって戦います。鱗粉でゴジラの熱線を跳ね返すというスゴ技を使います。
ゴジラは、先ほどのバトラがやったように、背後の建物(遊園地)を壊してモスラに落とそうとします。怪獣たちが地の利を生かして戦う姿に感心します。
が、それをバトラが止めるという熱い展開!
「モスラとバトラがわかりあえた」
と、小美人が言うところに感動を覚えます。きっと助けてもらったことが、バトラの心を解かしたのでしょう。異なる思想の者同士でも、わかりあえるのです。
バトラ先輩、観覧車の車輪を持ち上げます。一体どうするのか――と思いきや、ゴジラにぶつける! 観覧車攻撃力高い!!
モスラ、その隙に飛び立ちます。
二体でゴジラを攻撃するときの連携技が鮮やかです。
モスラが鱗粉でバトラの光線を乱反射させてゴジラを四方八方から攻撃します。
これはたまらんと手当たり次第に熱線を吐き散らすゴジラ。熱線を食らってもモスラもバトラもひるみません。効いていなさそうにも見えますが、きっと満身創痍の中で耐えているのだと思います。
「モスラとバトラが力を合わせればゴジラに勝てるかもしれない」
「二人ならLに並べる。二人ならLを越せる」ってやつですね!
こうやって見ているとゴジラも災難に思えてきます。
と、モスラとバトラ、また話し合いをしています。
この二体、並んでいると本当に可愛いです。何度でも言いますが、
可愛いです 。
そして、ゴジラをバトラがつかみます。
偶然かもしれませんが、
バトラの側が頭を持つのがいじらしいです。
バトラのほうががっつり胴体を持っているから、多分バトラが「胴体持つわ」って言ったのではないでしょうか。
というか、バトラが一人で最初運ぼうとしたけど、難しそうだからモスラが手伝ったという感じに見えます。
バトラさん、ゴジラにのど元をかじられてしまいます。
「あああ……」
と思わず声に出してしまいます。バトラあああ。
二体でゴジラを空送する姿はとてもシュールです。
ゴジラも黙って運ばれていません。何度も至近距離からバトラに放射熱線を浴びせます。
バトラにはどんどんダメージが蓄積されていきます。それでも耐えて運ぶ姿に、もう、言葉が出ません。
そして、バトラは力尽きてしまいます。ゴジラと一緒に海の真ん中に落ちていきます。モスラは重たくて持てなくなって手を放さざるを得なかったのでしょう。
幼少期はモスラがバトラを見捨てて手を放したのだと思っていました。
今見ると、モスラの無念さがよくわかります。
モスラは海に紋章を描いて、バトラごとゴジラを封印します。
バトラさん(´;ω;`)
場面が変わって、空港にモスラが伏せているシーンとなります。なんだかとってもシュールです。
モスラはこれから、地球に落ちてくるであろう大隕石を止めるために宇宙へと旅立つというのです。
本来はその役割はバトラのものでした。しかしバトラはもういないので、モスラが代わりに行くのだと。
モスラの力で隕石の軌道をずらしてみるのだと言います。そんな、無茶な……。
「どうして人間のためにそこまで」
「それがバトラとモスラの使命であり、約束だからです」
「約束」というところにグッときます。相手が死んでも、死んだからこそ、ちゃんと託された約束を守るところが偉いです。
バトラが自分が死んだ後のことを考えていたことにも胸が詰まります。
自分が尻尾の側を持ってモスラにゴジラを運ばせてもいいのに、モスラを生かすことを選び、託したのですね。
自分が危険な胴体の側を持ったのは、助けてもらったお礼じゃないかと思いました
。
バトラ先輩、男前すぎます。
(実はバトラの方がモスラより足が長くて運搬力があるらしいです。だから自分がゴジラを中心に運ぶことを引き受けたのもあるかもしれません)。
そして、コスモスもモスラを一人にせず、一緒に旅立つようです。なんだかそこにも感動します。
コスモスたちの精一杯のモスラへの気持ちなのだろうと思います。
「モスラはもう帰ってこないの?」(娘)
「きっと帰ってくる」(主人公)
「そのときのために、今度は私たちが地球を守らなきゃね」(母親)
地球を守らなくちゃ……と純粋に思いました。
主人公とその家族の関係が修復していくところにも温かい気持ちになります。
いや、しかしこの主人公は、今、改心しても絶対に同じことを繰り返しますね。
一般社会で生きていける人が、トレジャーハンターなんて最初からなるはずがないですから。どこかで生活に満足できなくなって、同じことを繰り返してうまくいかなくなる未来が見えます(笑)。
宇宙を飛ぶモスラ。
モスラはただの生き物ではなく神様だから、宇宙に出ても大丈夫というわけでしょうか。
この世界の怪獣たちの、生き物の概念超えたところ嫌いじゃないです。
巨大隕石はスペースゴジラのことだったのではという説があるようですが、それではあまりにもバトラもモスラも浮かばれないから、違う事であってほしいです。
正直、モスラって特別好きな怪獣というわけではなかったんですよね。当然、人並みの怪獣映画好きとして、愛着のある怪獣ではありますが、「大好き!」というわけではありませんでした。
しかし、この映画を観返してみて、モスラさんが人気な理由がわかりました。
守護神であり、許されている、愛されているような安心感を登場するだけで得ることができる怪獣なのです。
人間の業を許し、慈愛の心で包み込んでくれるモスラ。
人間のため(人間だけのためではないが)にここまで頑張ってくれる姿に言いようのない感情を覚えます。
必ず海を渡ってくるというところもいいです。海ってそれだけで神秘性がありますからね。
モスラとコスモスの関係はどちらが上なのだろう? と思っていましたが、どうやら、コスモスは巫女、モスラは神という立ち位置なので、モスラの方が上位のようです。
「モスラの歌」の日本語訳は特にそれが顕著で、モスラがどのような存在なのかがよくわかる内容になっています。興味のある方は検索してみてください。
モスラに限らずゴジラもしばしば神聖視されます。
破壊神という呼び方があるくらいです。ガメラも守り神ですし、それは怪獣というのは天災の比喩であり、天災は日本人にとっては神と紙一重だからなのかもしれません
。そう考えると、怪獣映画ってとても奥深いです。
『ゴジラVSモスラ』におけるゴジラは地球の異変の一端であり、人間の愚かさ、環境汚染の象徴なのかなと思いました。
バトラとモスラは同じ卵から産まれた双子です。
これが何を意味しているのか?
モスラが本当にコスモスの守護神なのか、コスモスがそう言っているだけで、本当はバトラと一緒に生み出した地球の守護神なのかで解釈が変わってきます。
後者ならば、地球生命は、気象操作装置は壊したいが、その後は平安にしたいという気持ちからモスラを生み出したのでしょうか。バトラは危険だから事が済んだ後に始末する存在が欲しかったのかもしれません。
モスラの存在は葛藤なのか身勝手なのか慈悲なのか ……考えさせられます。
それとも、コスモスが生み出した神に、地球生命が呪いのように引っ付けて一緒に誕生させたのがバトラなのでしょうか。
同じ一族でありながら、敵対する役割を押し付けられたバトラ。最後の自己犠牲と相まって、
とても悲劇的なのに、それを感じさせない強くて格好良い姿が印象的な怪獣でした。
「ゴジラを運ぶ役は俺がするから、封印を頼む。もし俺が死んだらお前は代わりに隕石を止めてくれ」なんて、モスラに頼んだのかな〜と、妄想します。
なぜモスラが怪獣の中でも「守り神」というポジションになったのか? 日本は昔から蚕の養殖が盛んで、蚕は「お蚕さま」と呼ばれ神聖視されています。モスラと蚕はよく似ています。だからなのかなと思いました。